プロフィール

金高智代
愛媛大学教育学部卒
英検準1級
元公立中学校教員

はじめまして! 金高 智代です。
英語指導者を応援する「えいごラボ wanna talk 」主催者です。どうぞよろしくお願いいたします。うん十年にわたる(笑) 経歴をお伝えします。同じ場所で仕事を全うするよりも、必要なことを学んでは、次のステージに移りたくなる「さすらいの寅さん」的人生です( ´∀` )

愛媛県大洲市出身 田舎者です(;^_^A 肱川の豊かな水と緑の山々の中で育ちました。中学校では英語大好き人間でした。高校では英語しかまともな点がとれない人間でした(;^_^A

大洲高校卒業後、愛媛大学教育学部へ

高校2年のとき父を亡くし、お金がなかった私は入学と同時に学生寮へ。愛媛大学御幸寮は、寮費がタダ同然に近い苦学生の味方。関西、関東方面からの多くの学生と学生生活を満喫しました。貧乏だけど楽しかった!!

さて大学では中学校教員養成課程で英語教育を中心に学び、当然中学校教師を目指していましたが、卒業前にして愛媛県の採用試験で何とD合格(不採用)に。それまで多くの先輩方が受けてきた採用試験で、不採用の人なんていませんでした!予想もしていなかった結果に目の前は真っ暗に!(;^_^A 実はこの年、愛媛県中学校英語教師の採用は0人だったのです。英語の授業数が減って教員が余っていたらしく・・・。そんなことも知らずに受験した自分の浅はかさ・・・

1980年、仕方なく地元の新興学習塾に就職。勢いのある企業でした。新進気鋭の社長のもと、会社はのび盛り。働くかっこいい女性がたくさんいて、キラキラ✨して見えたものです。当時の恩師、渡部洋三先生に英文法を基礎からガンガン叩き込まれ、60名クラスでもマネージできる教務のコツを授かって、数年のうちに受験英語指導については自分でも納得できる力をつけたように思っていました!自信満々!?なんちゃて。若気の至りです・・・(;^_^A

ただし!自分は英語を教えているけど話せない・・・。というコンプレックスがずっとくすぶり続けており・・・。十代のうちに海外に行く経験もしてない私なんかに「英語を話す」なんて無理!とあきらめていました。そんな漠然とした劣等感が、突然現実のものに。会社に来られた外国の方を英語科で接待せよとのお達しが・・・。何とかなるか、と思っていたものの、ニュージーランド出身のお客様の英語がほぼ何もわからない!何も話せない!という屈辱の経験・・・。くやしかったなあ。( ;∀;)

これをきっかけに、会社を休職アルクのヒアリングマラソンでリスニングの強化をし、TOEICの勉強を開始、憧れのロンドンでの短期留学も果たしました!帰国後TOEICは780点。まずまずの進歩を、会社が認めてくれて、1992年、新設の英会話部門に配属されました。教室長をしながら15名ものネイティブ講師とともに働くうちにspeaking も少しずつ向上。

でも一番良かったことは、たくさんのネイティブの考えに触れたことで、ものの見方が多面的になったこと、かな。

「周囲の迷惑になるくらいなら自分の事情は後回しにする・・・」なんて人まずいない!
思ったことは堂々と話す。回りの迷惑顧みず、自分のQOL(Quality of Life)を最優先に考える!

だんだんこれに慣れてくると、4年間のうちに彼らの思考の流れが読めるようになってきました。これ、英語学習の際、とても大事なこと。いわゆるスキーマをもって英語を使うことができる!(これについてはブログでまた書きますね)そして物事には常に複数の見方があるのだと気づきました

結婚、出産を経験した7年間は幸せな日々。英語の小説を読みまくり、気づけばTOEICスコア990の満点をとっていました!?これも読書によって英文理解のためのスキーマを増やせたことが要因かも。

そして子供が3歳になったころ、ついに学校というところに興味が。(やっとかい!)そこで、2004年、市内の2つの中学校で2年間英語教師として勤務しました。

第1印象は「ヤバい」(笑)。多くの生徒は給食と部活のためにしか学校に来てない!!ちょっぴり?いやかなり学校が荒れていた時代です(;^_^A

これは塾や英会話の生徒とは全く質の違う集団に教える技術が必要だと気付きました。アクティブラーニングという言葉はなかったけれども、その必要性に気づいた瞬間です

続いてひょんなことから私立幼稚園の副園長に。2006年より10年間、園の経営補佐と幼児への英語指導を経験。園の経営はほんっとに大変でした!園児募集はもちろん、認定こども園への移行のための書類の山、先生方の人事のこと、補助金の申請やら各種報告書!!!!でも、親になって間もないお母さん方の悩みを聞いて、子育てに何が大事なのか一緒になって考える日々は、人間として、親として、そして指導者として貴重な経験となりました。幼児は人の原点ですもんね。

さらに、幼稚園ではアクティブラーニングの原点を見ました。真の意味で「自由保育」をしている園では、いかにアクティブラーニングを進めるか、で子供の育ちが変わります。「遊びは学び」なのです。ここで出会った西宮京子園長には幼児教育の何たるかを1から教えていただきました。私にとっての第2のメンターです。この園での経験がその後の学校での英語教育の基礎になっています。

「2020年、英語教育改革実施」との文科省のニュースに触れたとき、「もう一度中学校に戻らなくちゃ!」と。「きっと私のようなちょっと変わった英語教育の視点をもった人間が必ず学校現場で必要になるはず!」なあんて。でも、マジで!感じました。

2016年、ついに念願の中学校に復帰、約4年間1つの公立中学校で英語指導を担当しました。これが楽しかった!!毎日がワクワク。明日は何をどうやって教えようか、どんな仕掛けをしようか、と。私のこんな意図にまた生徒がよく応えてくれたのですよ!!!みんな、ありがとう💛💛💛

そして2020年3月、学校を退職し、この英語指導ノウハウをもっといろんな先生方に知ってもらいたいと願って「えいごラボwanna talk」を始め、現在に至ります。

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